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おすすめ土木探訪ルート 関東

関東大震災からの復興を見る!

今に残る、関東大震災から復興の証として親しまれた美しい橋がおすすめ!隅田公園も川沿いで気持ちいいです。

イメージ

①永代橋→徒歩13分→②清洲橋→徒歩8分→③浜町公園→徒歩18分→④十思公園→バス22分→⑤墨田公園→バス20分→⑥錦糸公園(所用時間:半日)

スタート

永代橋
地図番号1

  • 場  所:東京都中央区新川1丁目
  • アクセス:茅場町駅 徒歩10分
写真写真

永代橋:放物線状の大規模アーチの造形により近代的橋梁を実現しており、アーチは幅1.5m以上もある鋼製で、その裾は、ゆるやかな曲線となっています。豪快かつ優雅なデザインは「帝都東京の門」として上流の清洲橋と共に隅田川に架かる名橋となっています。夜間はライトアップされ、色はブルーで爽快なイメージとなっています。
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徒歩徒歩13分

清州橋
地図番号2

  • 場  所:中央区日本橋中洲 西
  • アクセス:清澄白河駅 徒歩10分
写真写真

清洲橋:建設当時は「震災復興の華」と呼ばれた吊り橋です。世界で最も美しいとされたドイツ・ライン川のケルンの吊り橋をモデルにしています。当時、隅田川の玄関であった永代橋の次に位置し、特に美観を重視し、文人・画人などとともにデザインされました。男性美の永代橋に対して、清洲橋は女性美なシルエットの代表と言われています。清洲橋も夜間はライトアップされ、女性美を意識してピンク色となっています。
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徒歩徒歩8分

浜町公園
地図番号3

  • 場  所:中央区日本橋浜町二丁目59番1号
  • アクセス:都営新宿線「浜町」駅 徒歩0分
写真写真

隅田川沿いにある中央区の公園で、かつての肥後藩細川氏の庭園跡である。園内には、総合スポーツセンターや浜町運動場などの体育施設があり、区民の運動の活動拠点となっている。すぐ隣りには、明治座、加藤清正を祀る寺がある。
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徒歩徒歩18分

十思公園
地図番号4

  • 場  所:中央区日本橋小伝馬町6−14
  • アクセス:小伝馬町駅 徒歩2分
写真写真

十思と書いて「じっし」と読みます。
関東大震災からの復興公園で、公園名は他の復興公園の例にもあったように隣接の小学校名からとられたものです。
小学校名が付けられたのは明治初めのなにかと意気軒昂だった時代で、中国の歴史書「資治通鑑」にある「十思之疏(じっしのそ)」という言葉と、当時の学区制で第十四小区に属するので「十四」の語と音が通じるところからとられたいうことです。
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バスバス22分

隅田公園
地図番号5

  • 場  所:台東区花川戸1丁目
  • アクセス:浅草駅 徒歩5分
写真写真

大正12年(1923年)の関東大震災による被害状況を受けて、帝都復興院総裁となった後藤新平(内務大臣を兼務)を中心とする政府主導で計画された震災復興再開発事業は、東京市の防災都市化にその主眼を置いていた。特に地震によって発生した火災による被害は甚大であり、延焼を食い止める防火帯の設置が重要な課題となった。昭和通りなどの幅員の広い幹線道路の建設と並んで、公園の確保に重点が置かれ、復興局公園課の折下吉延らにより、東京に三大公園(隅田公園、浜町公園、錦糸公園)が設置された。
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バスバス20分

終点

錦糸公園
地図番号6

  • 場  所:墨田区錦糸4丁目15
  • アクセス:都08 – 錦糸公園前
写真写真

錦糸公園は1923年に発生した関東大震災によって壊滅的な被害を受けた東京の復興事業の一環として隅田公園(台東区、墨田区)、浜町公園(中央区)と並んで計画されたものである。当地は元々は帝国陸軍の糧秣厰倉庫であったが公園として整備され、1928年7月に開園された。戦時中は空襲からの避難所としての役割や戦災で命を落とした人たちの仮埋葬所としても利用された。
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  • 清州橋のモデルとなった橋のあった国はどこ?
  • 日本で最初に径間長100mを超えた橋は?
  • 公園の防災施設を探してみよう!
     
    災害対応トイレ、ソーラー発電の公園灯、かまどベンチ、揚水ポンプ、応急給水層
     (注意)炊事場があるところはかまどベンチはありません
  • かまどベンチってなに?
  • 防火用水はなんにつかうもの?