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清水峠越新道

しみずとうげごえしんどう

基本情報

厳しい自然環境の中で一世紀以上の歳月に耐えた往時の職人技術

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施設データ

分類:道路・橋梁
建設年:1885年(明治18年)
建設の背景(由来・ストーリー):国道291号の山岳部(水上-清水)の区間は1870(明治6)年に県令・河瀬秀治によって計画された道路で、ルートは湯檜曽(ゆびそ)から清水峠を越え、越後に至る「新道」でした。明治という時代背景もあり、工費は民間からの寄付金によって調達され、当時の金額として約3000円の寄付金が集まったとされます。
翌年6月に湯檜曾村-越後清水村の7里17町39間が着工し、わずか4ヶ月後には名目上この道路は竣工しました。しかし着工から竣工まで4ヶ月弱の期間から考えれば、ほぼ山道を改修した程度でした。
度々改修の計画があったものの工費の調達も難しく、さらには西南戦争によって、政府の援助も期待できなくなりました。
ただし、1877(明治10)年には、三国往還(みくにおうかん)が国道第一等に指定され、それに加えてこの未改修の清水道も縣道第一等「清水越往還」に認定されていることから、短期的な重要性の観点においては三国往還があり、さらに長期的展望にあっては、清水越往還が注目されたと見ることができます。
「清水新道」として新たな名称がつけられる清水越往還の工事は1881(明治14)年月に着手されました。4年の歳月を経て竣工したのは1885(明治18)年です。
1873(明治6)年からの計画から含めれば、約12年後にして上州と越後が近代的道路として結ばれたことになります。また、この新道の完成により三国越ルートよりも4里15町39間の短縮とされるので大幅な時間削減が可能となりました。
出典:国道紀行icon
施設の役割:新道の完成により上州と越後が近代的道路として結ばれ、三国越ルートよりも大幅な時間削減が可能となりました。
出典:国道紀行icon
関連する土木技術者:内務省少輔(しょうゆう)・林友幸
内務省土木局長・石井省一郎

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清水峠越新道は、みなかみ町湯檜曽(ゆびそ)から湯檜曽(ゆびそ)川に沿って谷川岳、茂倉岳(しげくらだけ)等の谷川連峰の東麓を縫い、上越国境の清水峠を越えて新潟県南魚沼市清水に至る道です。この国道の前身である清水越街道がいつごろ開削されたか定かでありませんが、古くから上州と越後を結ぶ重要な道でした。その後1881(明治14)年に国の直轄事業として工事着手し、同年8月に完成、現在は国道291号となっています。
この道は、対岸の白毛門(しらがもん)方向から見ると一定勾配で一直線に清水峠に向かっている様子が見られます。また道幅を確保するための石積が築造されていて、当時の土木技術の高さを感じさせます。
急峻な地形と有数な豪雪地帯という厳しい自然の中で、一世紀以上の歳月に耐えてきた清水峠越新道は、土木遺産にふさわしい歴史的価値の高い構造物と言えます。

現地表示;群馬県沼田土木事務所

 

施設の状態:保存・展示
所在地:群馬県 利根郡みなかみ町
アクセス:通行止め
見学方法(開館時間、入館料等):通行止め

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        社会科見学

        プロのみどころポイント

        技術的特徴

        道路の構成としてもトンネル2箇所、橋梁166箇所があります。さらには幅員は約5.4m(3間)、勾配が1/30の設計で、これは馬車が通れるように配慮した当時としては最先端の近代道路でした。
        出典:国道紀行

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