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那須野ヶ原用水

なすのがはらようすい

基本情報

明治の日本三大疏水のひとつ

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施設データ

分類:河川
建設年:1967年(昭和42年)から1994年(平成6年)に亘り実施(国営那 須野原開拓建設事業)
建設の背景(由来・ストーリー):那須野ヶ原の水利開発は、慶長年間(1595年~1615年)に蛇尾川を水源とする蟇沼用水と1763年(宝暦13年)に木ノ俣川を水源として旧木の俣用水による一部地域の水利開発が行われるも、多くは不毛の地でした。
那珂川と鬼怒川間の45kmを結ぶ大運河構想に端を発し、明治の日本三大疏水のひとつとして、1885年(明治18年)に開削されたのが那須疏水です。
明治初期の那須野ヶ原は、東北地方を中心として実施された明治政府の士族授産政策による開墾事業に誘発され、政府高官や華族・地元有力地主らによる結社農場建設が盛んに行われました。しかし、開拓予定地は水に乏しく、特に飲水にも事欠く事態は開拓者の大きな負担でした。この状況に鑑み、飲用水・灌漑用水確保のため那須疏水の開削が急ピッチで進められ、1885年(明治18年)に僅か1年で那須疏水幹線水路16.5kmが完成しました。翌、1886年(明治19年)に支線水路95.7kmも完成、約1,000haにおよぶ水田かんがい用水の他、生活用水としても利用されてきました。那須疏水開削に大きく貢献したのが、印南丈作・矢板武の両翁です。
那須疏水の開削以降、那須野ヶ原の開拓は飛躍的に進み、開墾社を中心に多くの村落が形成されるなど、那須疏水の通水は今日の那須野ヶ原発展の礎でした。
また、那須野ヶ原では、水の一滴は血の一滴として貴重なものであり、現在にもその精神が引継がれ、清水が守られています。那須疏水のほか、慶長年間に大田原城の御用水として開削された蟇沼用水や木の俣用水など、現在でも生活排水の放流は一切認めていない水系が多い状況です。
また、貴重な用水を平等に配分するため、特異な水利秩序として「背割分水方式」が発明され、現在にも受継がれています。
しかし、用水路の多くは土水路であったため、維持管理に多大な労力および経費を要し、漏水のため末端まで用水が届かないことが生じたことと、那須疏水開削以降も依然として用水の不足を生じていたことから、1967年度(昭和42年度)から1994年度(平成6年度)まで国営総合農地開発事業において、新たな水源の確保と施設の改修がなされ、用水不足の解消と施設の近代化が図られました。< r />
出典:疎水名鑑icon
施設の役割:飲み水や 田や畑に水を引くための用水路
関連する土木技術者:

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那須野ヶ原用水は、江戸時代から存続していた古い用水路である蟇沼用水と旧木ノ俣用水、および那須疏水より後から開削された新木ノ俣用水を統合したものです。これらの用水路は昭和42年(1967)年頃から平成6年(1994)の間に行われた国営那須野が原開拓建設事業において近代化整備を施されると共に、統合によって相互利用が可能となりました。
那須野ヶ原は、慶長年間(1595年~1615年)に蛇尾川を水源とする蟇沼用水と宝暦13年(1763)に木ノ俣川を水源として旧木の俣用水による一部地域の水利開発が行われましたが、多くは不毛の地でした。明治初期の那須野ヶ原は、東北地方を中心として実施された明治政府の士族授産政策による開墾事業に誘発され、政府高官や華族・地元有力地主らによる結社農場建設が盛んに行われました。しかし、開拓予定地は水に乏しく、特に飲水にも事欠く事態は開拓者の大きな負担でした。この状況に鑑み、飲用水・灌漑用水確保のため那須疏水の開削が急ピッチで進められ、1885年(明治18年)に僅か1年で那須疏水幹線水路16.5kmが完成しました。翌明治19年(1886)に支線水路95.7kmも完成、約1,000haにおよぶ水田かんがい用水の他、生活用水として利用されました。那須疏水開削に大きく貢献したのが、印南丈作・矢板武の両翁です。
那須疏水の開削以降、那須野ヶ原の開拓は飛躍的に進み、開墾社を中心に多くの村落が形成されるなど、那須疏水の通水は今日の那須野ヶ原発展の礎でした。また、那須野ヶ原では、水の一滴は血の一滴として貴重なものであり、現在にもその精神が引継がれ、清水が守られています。那須疏水のほか、慶長年間に大田原城の御用水として開削された蟇沼用水や木の俣用水など、現在でも生活排水の放流は一切認めていない水系が多い状況です。さらに、貴重な用水を平等に配分するため、特異な水利秩序として「背割分水方式」が発明され、現在にも受継がれています。
那須野ヶ原用水は、平成18年(2006)に農林水産省の疏水百選にも選ばれています。

 

施設の状態:供用中
所在地:栃木県北東部の那須塩原市・大田原市・湯津上村に位置する総延長340kmの用水路。
アクセス:那須野が原ウォーク Aコース(約7km、歩行時間2.5時間)
・車=西那須野・塩原ICから国道400号経由 5分
・バス=JR西那須野駅~畜産草地研究所前下車 徒歩15分

那須野が原ウォーク Bコース(疏水をすいすい歩き隊、約5km、歩行時間2時間)
・車=西那須野・塩原ICから国道400号経由 5分
・バス=JR西那須野駅~畜産草地研究所前下車 徒歩15分

出典:農水省: 水土里の路(みち)ウォーキングicon
見学方法(開館時間、入館料等):◆那須野が原ウォーク Aコース
(ア)水土里ネット那須野ヶ原の職員と公園の解説員がガイド役となり、那須野が原公園を出発します。5分程歩くと那須野ヶ原用水のひとつである那須疏水幹線(那須疏水探訪の小径:1km)があり、幹線水路沿いには1885年(明治18年)の開削当時の土砂が積み上げられています。積み上げられた土砂の上や周辺は赤松や広葉樹が美しい景色となっています。(イ)幹線水路を20分ほど歩くと、明治当時の飲用水路跡・見学デッキ・第三分水工が見えてきます。歴史的遺産と流水の迫力が味わえるポイントです。(ウ)第三分水工から県道を横断すると、那須疏水の水利秩序として今も残る「背割分水工」があります。水量の多いときも少ないときも平等に配水できる分水で、水に苦労した那須野ヶ原の歴史がうかがえます。(エ)那須野が原公園へのアクセス道路から赤田調整池への進入路沿いは、赤松のある雑木林と牧草地があって、内地の北海道といった雰囲気があります。赤田調整池は、農業用水と洪水調整のために活用される施設ですが、周辺環境と一体となった施設で美しい景観を創設しています。また、水鳥をはじめとして多くの動植物生息場所となっていて、冬には絶滅危惧種の「コウライアイサ」も越冬しています。(オ)最後に、那須野が原公園内の自然散策路や展望の丘を歩き、自然の中で鳥の声や赤田調整池の全景を眺めながら(カ)公園事務所前にゴールします。(このコースは赤田調整池を除いては自由に散策ができます。赤田調整池については、水土里ネット那須野ヶ原へ直接申込みにより見学可能です。)
◆那須野が原ウォーク Bコース
(ア)那須疏水記念碑前にて水土里ネット那須野ヶ原の職員がガイド役となり、那須野ヶ原開拓の歴史の概要を説明します。(イ)赤田調整池の堤体を歩き、導水施設を見学。(ウ)アクセス道路から那須野が原公園に入り、展望の丘から赤田調整池の全景を眺望できます。(エ)那須疏水の迫力を味わうことのできる那須疏水探訪の小径を散策しながら(オ)第三分水工へ。そこでは水量の多いときも少ないときも平等に配水できる「背割分水工」、(カ)第四分水、(キ)観象台(北点)を見学し、(ク)千本松牧場へ到着。その後、(ケ)栃木県酪農試験場 向かい、場内を見学。(コ)水土里ネット那須野ヶ原に戻ります。(赤田調整池については、水土里ネット那須野ヶ原へ直接申込みにより見学可能です。)

出典:農水省:ウォーキングコース(関東地区)「icon」 

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        レビュー(1 件)

        1. 雑草魂
          Posted 2013年7月30日 at 6:34 PM | Permalink

          こんな歴史があるとは知りませんでした。

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