TOP > 関東 > 新橋駅 新橋-横浜間鉄道

新橋駅 新橋-横浜間鉄道

しんばしえき しんばし-よこはまかんてつどう

基本情報

新橋~横浜 我が国はじめての鉄道

拡大写真
  • 新橋駅 新橋-横浜間鉄道
  • 新橋駅 新橋-横浜間鉄道
  • 新橋駅 新橋-横浜間鉄道
  • 新橋駅 新橋-横浜間鉄道

クリックして
画像を拡大

施設データ

分類:鉄道
建設年:1872年(明治5年)
建設の背景(由来・ストーリー):1870年(明治3年)、鉄道敷設のための測量が開始され、同年中には着工された。当初は枕木に関し、鉄製のものを輸入しようと考えていたが、お雇い外国人であるエドモンド・モレルの発案により、予算の問題や今後の鉄道敷設のことを考えると、加工しやすい国産の木材を用いたほうがよいということになり、変更された。また多摩川(六郷川)の六郷川橋梁も、当初はイギリスから鉄と石材を輸入して架けることにしていたが、予算削減のため木橋に変更されている(後、1877年に老朽化が早いため鉄橋に交換する)。

なお線路を敷設するのには、鉄道が当時の日本人にとっては未知のものであったことから、反対運動が多くあった。結局、薩摩藩邸などがあった芝 - 品川付近などでは、築堤を海上に築き、その上に線路を敷くことにした。全線29kmのうち、1/3にあたる約10kmがこの海上線路になった。

何はともあれ、外国人技師の指導を受けた線路工事が終わり、伊藤などを乗せて試運転も実施、停車場などの整備も順次進められ、明治5年5月7日(当時は旧暦の天保暦を使用。日本で翌年から使用を開始した西洋暦ことグレゴリオ暦では、1872年6月12日となる)に品川駅 - 横浜駅(現在の桜木町駅)間で、仮開業という形で2往復の列車が運行され、翌8日には6往復になった。なお当初、途中に駅は設けられていなかったが、6月5日川崎駅・神奈川駅(廃駅)が営業を開始している[2]。

そして9月12日(同じく10月14日)には、新橋駅(のちに貨物専用の汐留駅となり、現在は廃止) - 横浜駅間開業の式典が新橋駅で催され、明治天皇のお召し列車が横浜まで往復、翌10月15日から全線の正式営業が始まった。鶴見駅が開業したのも、この時である。正式開業時の列車本数は日9往復、全線所要時間は53分、表定速度は32.8km/hであった。これを記念し、1922年(大正11年)に10月14日は「鉄道記念日」へ指定された。1994年(平成6年)には運輸省の発案により、「鉄道の日」と改称されている。
出典:ウィキペディアicon
施設の役割:日本人に西洋を範とした近代化を目に見える形とするため、大隈重信・伊藤博文らは鉄道の建設を行うことにした。また、元々日本では海上交通(海運)が栄えていたものの、貨物・人員の輸送量が増えていたため、陸上交通においても効率化を図る必要があった。
出典:ウィキペディアicon
関連する土木技術者:エドモント・モレル

Rate this post

明治5年5月7日、品川・横浜(現在の桜木町)間に我が国はじめての鉄道が仮開業され、次いで工事が遅れていた新橋・品川間も同年7月25日に路線敷設が完了し、9月12日に新橋・横浜間の鉄道が本開業されました。同間は当時29キロメートル、所要時間は、ノンストップで53分でした。
出典:国公立公文書館デジタルアーカイブicon

 

施設の状態:供用中
所在地:新橋駅~横浜駅
アクセス:新橋駅~横浜駅
見学方法(開館時間、入館料等):新橋駅~横浜駅周辺

周辺情報

周辺の歴史スポット

  1. 浅野内匠頭切腹跡:奥州一之関藩(岩手県)田村右京太夫の上屋敷。内匠頭は江戸城松の廊下での刃傷沙汰があったその日のうちに、この屋敷で切腹させられました。上辞世の句は、「は風さそう花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん」。
  2. 島崎藤村旧居跡:大正7年から昭和11年まで住み、最後の長編小説「夜明け前」をここで完成させました。また「大東京繁盛記」の「飯倉附近」には、大正から昭和にかけての飯倉界住隈の様子がいきいきと描かれています。墓は大磯地福寺にあります。
  3. 杉田玄白の墓・栄閑院:江戸中期のオランダ外科医で「解体新書」で有名な杉田玄白の墓があります。栄閑院は通称「猿寺」と呼ばれます。寛永の頃、猿回しに扮した泥棒が住職に改心させられ、猿をここにおいて諸国行脚に旅立ったことに由来します。

周辺の観光スポット

  1. NHK放送博物館:大正14年3月1日、芝浦の仮放送局から始まったラジオ放送は、試験放送の名目で実施されました。7月12日には愛宕山の東京放送局からの本放送がスタート。アンテナの鉄塔は東京名物になり、愛宕山のJOAKとして親しまれました。
  2. 東京タワー:昭和33年開業以来、東京のシンボルとして親しまれています。電波塔としての役目は東京スカイツリーに移りましたが、地上150mの大展望台、250mの特別展望台からのロマンチックな夜景は健在。今も各地から多くの観光客が訪れています。
  3. 増上寺:明徳四年(1393年)、現在の千代田区平河町あたりに開かれてのち、慶長三年(1598年)に現在の芝の地に移りました。上野の寛永寺と並ぶ徳川家の菩堤寺として知られ、6人の将軍が埋葬されています。国の重要文化財など寺宝が多数あります。

周辺の宿泊・温泉

    口コミ・写真

    新橋駅 新橋-横浜間鉄道の平均評価
    Rate this post

    レビューを投稿する

     

    Optionally add an image (JPEG only)

    社会科見学

    プロのみどころポイント

    技術的特徴

    当初は枕木に関し、鉄製のものを輸入しようと考えていたが、お雇い外国人であるエドモンド・モレルの発案により、予算の問題や今後の鉄道敷設のことを考えると、加工しやすい国産の木材を用いたほうがよいということになり、変更された。また多摩川(六郷川)の六郷川橋梁も、当初はイギリスから鉄と石材を輸入して架けることにしていたが、予算削減のため木橋に変更されている。



    出典:ウィキペディア

    その他