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碓氷第三橋梁

うすいだいさんきょうりょう

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国重要文化財

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施設データ

分類:鉄道
建設年:1891(明治24)年3月に着工し、1893(明治26)に竣工しました。
建設の背景(由来・ストーリー): 太平洋側と日本海側を結ぶ、本州を横断するルートとしての役割を担い、碓氷峠越えの鉄道建設が計画されました。当時の鉄道局は、1889(明治22)年6月に建築師長のパウネルを派遣し、7月から12月にかけて測量が実施されました。
 また、当時ドイツに留学中の鉄道局技師、仙石貢と吉川三次郎が、1885(明治18)年に開通した、ドイツのハルツ山鉄道に採用されていたアプト式(アプト式区間7km、勾配60パーミル)の紹介や、元建築師長で、1877(明治10)年に大阪停車場内に「工技生養成所」を開設して、日本人技術者の養成に尽力したシャービントンが、アプト式鉄道を横川-軽井沢間に採用するように推薦したこともあり、これまでの測量と調査をふまえて、入山線、和美線、中尾線の三路線が比較検討されることとなり、1890(明治23)年に再び測量が行われました。
1890(明治23)年9月にアプト式を用いて和美線とすることが決定し、10月から測量を開始しましたが、建設費用等の理由から11月になって鉄道局長官の井上勝は本間英一郎技師に中尾線の詳細な測量と調査を命じ、1891(明治24)年1月に、鉄道局技師の松本荘一郎、本間栄一郎、建築師長C.A.W.パウネル(C.A.W.Pownall)らが和美線、入山線、中尾線を再び測量して比較検討した結果、1891(明治24)年2月4日に中尾線を本線として66.7パーミルの勾配をアプト式を採用して建設することが決定されました。

出典:碓氷峠鉄道施設(国重要文化財) 信越本線・碓氷峠(横川~軽井沢)icon
施設の役割:太平洋側と日本海側を結ぶ、本州を横断するルートとしての役割を担い、碓氷峠越えの鉄道建設が計画されました。
1891(明治24)年2月4日には、中尾線を本線として66.7パーミルの勾配をアプト式を採用し、横川-軽井沢間約11.5kmに隧道(トンネル)26、橋梁18(疎水橋等を除く)が建設されることになり、1891(明治24)年3月に軽井沢から起工し、6月には全線が着工されました。



出典:碓氷峠鉄道施設(国重要文化財) 信越本線・碓氷峠(横川~軽井沢)icon
関連する土木技術者:イギリス人の鉄道局建築師長C.A.W.パウネルと本間英一郎技師が設計を行いました。

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碓氷第三橋は1993(平成5)年8月17日に国の重要文化財に指定され、更には、1994(平成6)年にアプト線時代の隧道(トンネル)も国の重要文化財に追加指定されました。信越本線の「碓氷峠鉄道施設」は、旧横川機関区(横川運転区)の施設を活用した「碓氷峠鉄道文化むら」(碓氷峠交流記念財団)や群馬県安中市、長野県北佐久郡軽井沢町などによって保存と活用が進められています。
 2007(平成19)年1月には文化庁が「富岡製糸場と絹産業遺産群」(「碓氷峠鉄道施設」はこの遺産群を構成している)を世界遺産国内候補に選定し、ユネスコ世界遺産暫定一覧表に追加記載されました。
 こうした歴史をもつ「碓氷峠鉄道施設」は、日本の産業技術史における産業遺産として、重要な価値を持っています。

出典:碓氷峠鉄道施設(国重要文化財) 信越本線・碓氷峠(横川~軽井沢)icon

 

施設の状態:保存・展示
所在地:安中市松井田町 坂本地内
アクセス:JR信越本線「横川駅」から車約10分、横川駅~軽井沢間で、碓氷峠の名所アクセス路線バスの運行あり(季節限定)
見学方法(開館時間、入館料等):碓氷峠鉄道文化むら

【営業時間】
9:00~17:00
(3/1~10/31)
9:00~16:30
(11/1~2/末日)

【定休日】
毎週火曜日および年末年始(12/29~1/4)
※火曜日が祝日の場合は翌日が休園   

【料金】
中学生以上500円
小学生300円
小学生未満無料

周辺情報

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        社会科見学

        プロのみどころポイント

        技術的特徴

        橋台と橋脚は、基礎の2~3段に石を使用していますが、その上は石または煉瓦を使用し、アーチ部分より上は全て煉瓦を用いてます。工事着工後、1891年(明治24)10月に、岐阜と愛知地方に強い地震が発生し、その被害は甚大であったため、煉瓦積の柱などには中間の所々に直立の石柱を挟み、また煉瓦を縦に用いることとして対処を行っております。アーチを積むのにも、所々に縦に煉瓦を用いて煉瓦相互をつなぐという高い技術を要する工事が行われております。


        出典:明治工業史 鉄道編(碓氷線)

        その他

        出典:作成者撮影